本を訪ねる

読書は自分を知る旅

できないことより、できることから始めよう!/小さな習慣を訪ねる1

新しいことを続けるには、できることから始める

 新しいことを始めたいとき、何かに挑戦したいとき、「やってみたいけどしんどいから結局やっていない」や、「三日はやってみたけど、そのあとが続かなかった」なんてことは、ないでしょうか?

 

 今回の読書では、「習慣化」するための取り組み方の違いで、新しい取り組みを習慣にできるかどうかに大きく影響してくることがわかりました。

 

 新しいことに取り組むとき…

 

 「できないことをできるようにするために頑張る」

 

 または、「簡単にできることから始める」のどちらを選ぶでしょうか?

 

 例えば、目標達成のために新しいことに取り組もうとするとき、「目標とは、いまはできていないこと」ということで、「できないことをできるように頑張ろう」と思ってしまうのではないでしょうか。

 

 ダイエットや肉体改造なら、普段やっていない運動をやってみたり、食事制限をしてみたり。

 

 読書を趣味にしようと思い、とにかく速く1冊を読もうと、急いで読んでみたり。

 

 できないことに目を向けて取り組もうと考えるとどうでしょうか?

 

 おそらく「しんどい」と感じるはずです。そして「明日からやればいいや」とか「結局1週間続かなかった」「こんなにしんどいなんて…」と思うかもしれません。

 

 できないことに目を向けることは、できていない自分にも目を向けることになるので、自信を無くして余計に続けることが難しくなるのではないかと感じました。

 

 反対に、簡単にできることから始めるを想像してみましょう。

 

 ダイエットしたい、肉体改造したいと思ったとして、「できる範囲でなにがあるかな」と考えたとしましょう。がっつり運動はできないけど、毎日家の周囲を1週してみる。完全な食事制限は厳しいけど、普段食べいるお菓子の量を少し減らす。

 

 読書を趣味にしたいけど、文字を読むのに慣れていないので、まずは1日1ページ読んでみる。

 

 簡単にできる範囲で始めると考えるとどうでしょう?

 

 おそらく「物足りない」と感じるのではないでしょうか。ただ、「物足りない」という風に感じるということは、「もう少しだけやってみようかな」、「このくらいなら明日もやってみよう」と思う可能性が高くなります。

 

 なにより、「少しでもやってみた。取り組むことができた。」という事実は、小さくとも達成感が生まれると思います。

 

 「できていないこと」をできるようにするには、「できることからする」というのはなんだか不思議な話に思えました。

 

 挑戦は、できることから始めてみる。

 

 全力ダッシュでは息が続かない。

 

 普段の息づかい、ほんの少しだけ足早に。

 

 「もう少しだけ」「もう少しだけ」

 

 気が付けば、見たかったものが目の前に。

 

 本を巡る旅にお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

 今回は、「習慣化」をテーマにした本を読みました。

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小さな習慣

ティーヴン・ガイズ【著】

田口 末和(たぐち みわ)【訳】

なぜあなたは自分の「偏見」に気づけないのか 読書記録 まとめ

なぜあなたは自分の「偏見」に気づけないのか 読書記録 まとめ

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なぜあなたは自分の「偏見」に気づけないのか

ハワード・J・ロス【著】

御舩 由美子(みふね ゆみこ)【訳】

 

 本書は、「偏見」をテーマにした本です。

 

 「偏見」というと、どんなイメージがあるでしょうか?

 

 私は、「偏見」というと勝手な思い込み、先入観のようなもので、あまり良くないイメージがありました。

 

 しかし、本書を読んで「偏見」は、生きていくために必要なものだとわかりました。

 

 「偏見」は、素早い判断が必要なときにとても役に立つようです。

 

 ただし、素早い判断に有効な反面、誤った判断を下してしまうこともあります。新しく起こった出来事に過去の経験をあてはめることで、思わしくない結果を招いたり、常にそこに存在する問題点に気づくきっかけを見逃すことになってしまいます。

 

 「偏見」は使い分けることで、有効に働くのかなと本書を読んでいて感じました。

 

 もう1つ感じたことは、「偏見」とは「社会」であるということでした。

 

 「社会」には、一般論や、ルールというものが存在します。「これは、こういうもの」や「あれをすると、こうなる」といったものは、「偏見」といっても過言ではなと思います。

 

 人は、世界に生まれ、社会に生きている。

 

 「社会」とは、国であり、性別であり、世代であり、人種であり、職種であり、会社であり、貧富であり、宗教である。他にも様々な「社会」に属していて、それも一度に複数の「社会」に生きています。

 

 「偏見」を無くして生きることは、不可能に近いようです。

 

 「偏見」は、安心して生きるためには必要です。しかし、時として他の「社会」と対立することがあります。対立することで他者を傷つけたり、余計な不安を持ってしまうことにもなりかねません。

 

 誤った「偏見」に気づくためには、自分の持っている「偏見」の特徴を知ることが大切です。本書は、様々な「偏見」に気づかせてくれる本となっています。

もくじ

第1章 人間であるかぎり偏っている

raikuhon.hatenablog.com

 

第2章 考えていることについて考えてみる

raikuhon.hatenablog.com

 

第3章 バイアスの10のパターン

raikuhon.hatenablog.com

 

第4章 命と死と逮捕と無意識のバイアスについて

raikuhon.hatenablog.com

 

第5章 力を握っているのは誰か?

raikuhon.hatenablog.com

 

第6章 見えないバイアスに囲まれて

raikuhon.hatenablog.com

 

第7章 ギアをニュートラルに入れる

raikuhon.hatenablog.com

 

第8章 意識と気づきの育成

raikuhon.hatenablog.com

 

たくさんの見えない理由/なぜあなたは自分の「偏見」に気づけないのかを訪ねる8

「なぜなら、〇〇だから」

 ミスをした。

 

 なぜなら、業務の手順を間違えたから。

 

 なぜなら、報連相を怠ったから。

 

 なぜなら、チームワークが足りていなかったから。

 

 なぜなら、朝から体調が悪いから。

 

 なぜなら、今日の朝の占いで最下位だったから。

 

 なぜなら、家族とケンカの真っ最中だから。

 

 なぜなら、失恋中だから。

 

 なぜなら、今日は気分の落ち込むような曇りだから。

 

 あの人は素晴らしい人だと思う。

 

 なぜなら、誰に対しても優しいから。

 

 なぜなら、仕事をしっかりこなすから。

 

 なぜなら、自己管理が行き届いているから。

 

 なぜなら、高学歴だから。

 

 なぜなら、毎回飲み会に参加してくれるから。

 

 なぜなら、同じ地元出身だから。

 

 なぜなら、第一印象が良かったから。

 

 なぜなら、容姿端麗だから。

 

 なぜなら、昔好きだったまたは、憧れていた人にそっくりだから。

 

 なぜなら、私に意見をしないから。

 

 色んなことには、色んな理由が存在する。

 

 人は、どんな理由に納得し、どんな理由に理不尽だと感じるだろう。

 

 そしてその理由は、誰かだけでなく誰でもない自分も下しているときがあるはず。

 

 理由を振り返ろう。

 

 本当に大切なものを見落としたままにしないために。

 

 本を巡る旅にお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

 今回も前回に引き続き、「偏見」をテーマにした本です。

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なぜあなたは自分の「偏見」に気づけないのか

ハワード・J・ロス【著】

御舩 由美子(みふね ゆみこ)【訳】

 

思考の速度で考えが変わる/なぜあなたは自分の「偏見」に気づけないのかを訪ねる7

速い思考は、何を参照しているのか?

 今回の読書では、普段意識していない『思考の速度』について考えることになりました。

 

 考えること、思うことの『速度』が速い場合、何が起きているか?

 

 思考が速く駆け巡っていると、『起きたこと』に対して思考をしていない可能性があるようです。

 

 速い思考は、『起きたこと』と似た『過去の経験』を基に考えたり、感情を呼び起こす。

 

 例えば思考が速いと、嫌いな食べ物を目にした時、『過去に食べて美味しくなかった』という経験をもとに、『美味しくないもの』と判断し、『食べたくない、不快な気持ち』を呼び起こします。

 

 食べてもいないのに『美味しくない』と判断するのです。

 

 食べ物以外でも、人間関係や、仕事など、様々なことに当てはまるかと思います。

 

 「あの人は苦手だ、意見がいつも合わないから」

 

 「その業務はもうやりたくない。過去に大きな失敗をしたから」

 

 『起きていること』について思考しているようで、『過去のこと』で判断しているので、場合によっては、状況判断にズレが生じる可能性があります。

 

 一方、遅い思考は『起きていること』について思考をします。

 

 例えば、『嫌いな食べ物』を目にした時、最初は、速い思考同様で、食べたくない、不快な気持ちが呼び起こされるかもしれませんが、判断までに深く考えることができます。「前回と違って、美味しく感じるかもしれない」という思考ができるかもしれません。

 

 以前食べたものより、鮮度がよさそう。品質がよさそう。

 

 前は、組み合わせが良くなかったのかも。

 

 自分の体調が影響していたかもしれない。

 

 思考を遅くすることで、『嫌いな食べ物』でも、『過去食べた経験』について考えることから、『目の前にある嫌いな食べ物』について思考を巡らせる機会ができます。

 

 速い思考同様、遅い思考も、人間関係や仕事など様々なことに当てはまります。

 

 「あの人は苦手だ。意見が合わないから、しかしなぜいつも意見が合わないのだろう?立場が違うから?お互いに張り合ってしまうから?」

 

 「あの業務はやりたくない。過去に大きな失敗をしたから。でも経験を積んだ今ならどのくらいできるだろうか?失敗から学んだことを活かすことができれば、次は上手くいくんじゃないか?」

 

 思考の速度を落とすことで、「今、ここ」を見つめることができるようになる。

 

 速い思考、遅い思考、どちらも生きる上では、必要なんだと読んでいて感じました。

 

 大切なことは、使い分けることだと思います。

 

 私たちは、目まぐるしい日常を速い思考で生きているのではないでしょうか。

 

 今起きていることは、本当に嫌なことでしょうか?

 

 反対に楽しいと感じているでしょうか?

 

 どこかしっくりこないときは、思考の速度を落として

 

 「今、ここ」を感じてみることも良いことなのかもしれません。

 

 本を巡る旅にお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

 今回も前回に引き続き、「偏見」をテーマにした本です。

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なぜあなたは自分の「偏見」に気づけないのか

ハワード・J・ロス【著】

御舩 由美子(みふね ゆみこ)【訳】

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自分の意思と社会の意思/なぜあなたは自分の「偏見」に気づけないのかを訪ねる6

 あけましておめでとうございます。旧年中は、当ブログ『本を訪ねる』を読んで下さり、ありがとうございました。本年もマイペースの不定期更新ですが、読んでいただければ幸いです。今年もよろしくお願いします。

全体の意思の中の「個」の意思

 例えば、クリスマスを1人で過ごしていると、いつもよりも孤独感を感じてしまう。バレンタインデーにチョコをもらえないとなんだか気分が落ち込む。オリンピックが始まれば、普段スポーツ観戦しないけど、スポーツ観戦する。

 

  なぜ普段、1人でも気にならないのに、クリスマスに1人だと孤独感や、虚しさに苛まれるのか。

 

 なぜ普段、異性からの好意を過剰に意識なんてしないのに、バレンタインでは、意識してしまうのか。

 

 なぜ普段、観もしないスポーツに熱狂するのか。

 

 今回の読書では、『集団のふるまいが、個人のふるまいを促す』という内容が印象的でした。

 

 クリスマスを1人で過ごすことに、孤独感や悲壮感を感じてしまうのは、社会的に『クリスマスは、家族や恋人と過ごす日』というイメージが根付いているからではないだろうか。恋愛ドラマでは、クリスマスにカップルが誕生するストーリーが感動を生み、情報番組では、恋人や友人、家族で楽しくクリスマスを過ごせる方法やスポットが紹介される。

 

 バレンタインでは、好きな男性にチョコを送る文化から始まり『義理チョコ』『友チョコ』など、チョコを送ることが素晴らしいとされ、また反対にチョコを受け取ることも幸せなこととされている。テレビのCMでは、『愛する人にチョコを送ろう』と視聴者に語りかけてくる。

 

 オリンピックでは、普段観たこともないスポーツに熱狂する。そのスポーツのスペシャリストのプレイに純粋に感動したから熱狂するということはもちろんある。しかし、熱狂する期間は、何も特別な日である必要はないはず。オリンピックが開催されるとき、同時に世界中が熱狂する光景をテレビをはじめ、インターネット、SNS等から知らされることになる。

 

 集団に属している場合、集団の行動や、考え、感情が、個人に影響を及ぼす。

 

 たとえ、クリスマスに1人で過ごすことになんとも思わなくとも、『社会的には、クリスマスに、1人は寂しいもの』と認識している場合は、1人でいることがダメなことのように思える。

 

 バレンタインデーなんて気にしないという人でも、『社会的には、チョコをあげることや、もらえることは幸せ』と認識している場合、あげないことや、もらわないことに関して意識する1日を過ごす。

 

 元々スポーツに興味はないからオリンピックは観ないという人でも、『オリンピックを観て盛り上がることが一般的』だという価値観の中に居れば、その時期だけ気まずさを覚える。

 

  集団のふるまいを考えてみると、『個』への影響力は計り知れないものなのだろうなと感じました。

 

 なぜ、クリスマスに誰かとつながりたいのか。

 

 なぜ、正月に神社にお参りに行きたいのか。

 

 なぜ、流行りのファッションを着こなし、音楽を聴き、ドラマを観るのか。

 

 その『素晴らしい』は誰の感想なのだろうか?

 

 本を巡る旅にお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

 今回も前回にひきつづき、『偏見』をテーマにした本を読みました。

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なぜあなたは自分の「偏見」に気づけないのか

ハワード・J・ロス【著】

御船 由美子(みふね ゆみこ)【訳】

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