本を訪ねる

読書は自分を知る旅

自分の意思と社会の意思/なぜあなたは自分の「偏見」に気づけないのかを訪ねる6

 あけましておめでとうございます。旧年中は、当ブログ『本を訪ねる』を読んで下さり、ありがとうございました。本年もマイペースの不定期更新ですが、読んでいただければ幸いです。今年もよろしくお願いします。

全体の意思の中の「個」の意思

 例えば、クリスマスを1人で過ごしていると、いつもよりも孤独感を感じてしまう。バレンタインデーにチョコをもらえないとなんだか気分が落ち込む。オリンピックが始まれば、普段スポーツ観戦しないけど、スポーツ観戦する。

 

  なぜ普段、1人でも気にならないのに、クリスマスに1人だと孤独感や、虚しさに苛まれるのか。

 

 なぜ普段、異性からの好意を過剰に意識なんてしないのに、バレンタインでは、意識してしまうのか。

 

 なぜ普段、観もしないスポーツに熱狂するのか。

 

 今回の読書では、『集団のふるまいが、個人のふるまいを促す』という内容が印象的でした。

 

 クリスマスを1人で過ごすことに、孤独感や悲壮感を感じてしまうのは、社会的に『クリスマスは、家族や恋人と過ごす日』というイメージが根付いているからではないだろうか。恋愛ドラマでは、クリスマスにカップルが誕生するストーリーが感動を生み、情報番組では、恋人や友人、家族で楽しくクリスマスを過ごせる方法やスポットが紹介される。

 

 バレンタインでは、好きな男性にチョコを送る文化から始まり『義理チョコ』『友チョコ』など、チョコを送ることが素晴らしいとされ、また反対にチョコを受け取ることも幸せなこととされている。テレビのCMでは、『愛する人にチョコを送ろう』と視聴者に語りかけてくる。

 

 オリンピックでは、普段観たこともないスポーツに熱狂する。そのスポーツのスペシャリストのプレイに純粋に感動したから熱狂するということはもちろんある。しかし、熱狂する期間は、何も特別な日である必要はないはず。オリンピックが開催されるとき、同時に世界中が熱狂する光景をテレビをはじめ、インターネット、SNS等から知らされることになる。

 

 集団に属している場合、集団の行動や、考え、感情が、個人に影響を及ぼす。

 

 たとえ、クリスマスに1人で過ごすことになんとも思わなくとも、『社会的には、クリスマスに、1人は寂しいもの』と認識している場合は、1人でいることがダメなことのように思える。

 

 バレンタインデーなんて気にしないという人でも、『社会的には、チョコをあげることや、もらえることは幸せ』と認識している場合、あげないことや、もらわないことに関して意識する1日を過ごす。

 

 元々スポーツに興味はないからオリンピックは観ないという人でも、『オリンピックを観て盛り上がることが一般的』だという価値観の中に居れば、その時期だけ気まずさを覚える。

 

  集団のふるまいを考えてみると、『個』への影響力は計り知れないものなのだろうなと感じました。

 

 なぜ、クリスマスに誰かとつながりたいのか。

 

 なぜ、正月に神社にお参りに行きたいのか。

 

 なぜ、流行りのファッションを着こなし、音楽を聴き、ドラマを観るのか。

 

 その『素晴らしい』は誰の感想なのだろうか?

 

 本を巡る旅にお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

 今回も前回にひきつづき、『偏見』をテーマにした本を読みました。

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なぜあなたは自分の「偏見」に気づけないのか

ハワード・J・ロス【著】

御船 由美子(みふね ゆみこ)【訳】

なぜあなたは自分の「偏見」に気づけないのか 逃れられないバイアスとの「共存」のために [ ハワード・J・ロス ]

価格:2,640円
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