本を訪ねる

読書は自分を知る旅

病めるときも健やかなるときも

運命とは誰が運んだ命か

 運命の出会いとは

 どういったものをいうのでしょうか。

 運命の出会いを体験したこはありますか?

 

 今回は

 運命の出会いについて

 考える読書でした。

本日の読書

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MINDSET(マインドセット

キャロル・S・ドゥエック【著】

今西 康子(いまにし やすこ)【訳】

歩くヒントになるコトノハ

 そのとき、私ははたと気づいたのだ。親子関係の半分は私が握ている。親子関係の半分は私の意志で変えられる。少なくとも、母を愛する娘になることだけなら、自分が望めばできる。母がどうするかは、ある意味で、たいしたことではない。私が一歩前進したことに変わりはないのだから。

幸運とは理解をしたいと思えたこと

 パートナーでも

 子どもでも

 親でも

 友人でも

 様々な出会いは運命だとしましょう。

 

 運命とは

 すべてが生まれる前から決まっている…

 ということだった場合。

 

 もって生まれた巡り逢わせだから

 自分では変える余地がないと考えてしまう。

 

 相手に自分の

 理想通りの姿でいてほしいと

 思ってしまう。

 

 理想の夫、妻

 理想の子ども

 理想の父、母

 理想の友人

 

 すべては決められた運命だった。

 だから理想どおりではない相手に

 イラ立ちや不満を覚えてしまう。

 

 イラ立ちや不満から

 関係がギクシャクしてしまう。

 距離が離れる。

 

 運命とは

 自分の命は自分が運ぶ。

 自分の運命は自分で決めるという

 意味合いでとらえた場合。

 

 パートナーは悩みながらも自分が選んだ。

 父や母は不満に思うところもあれば良いところもある。

 息子(娘)は、心配なところもあるがしっかりしているところもある。

 ときどきケンカをすることもあるが、なんだかんだ理解し合える良き友人。

 

 両親や子どもは確かに選べません。

 ただ、私の運命の人だからと理想を押し付けることも

 相手の良いところ、不満に思うことを見いだすことも

 自分次第でできます。

 

 カップルに夫婦

 親子

 友情

 

 どれも1人の人生ではなく

 2人の人生

 半分は自分です。

 

 半分は著者のキャロルさんの言うように

 自分が決められる。

 

 運命の出会いというと

 とても幸運のように感じます。

 

 その幸運は

 誰かに与えられたものではなく

 自分が半分は決めたもの。

 

 自分の願いが決まった喜びが半分。

 

 後の半分は

 愛した相手を理解し

 より絆を深めることができること

 なのかなと思いました。

 

 病めるときも

 健やかなるときも

 相手を理解する機会があることは

 幸運ということを忘れずにいたいものです。

 

 最後まで読んでいただきありがとうございました。

 皆さまが素晴らしい運命の出会いに恵まれますように!