変わり続けることが世の常ならどこに心を置こうか/反応しない練習を訪ねる6
心の置き所
本を訪ねるへようこそ!
こんにちは、ライクです。
変わらないものは無いと言ってもいいこの世界。未熟だったものは熟し、発展したものは、やがて衰退する。見方が逆転するようなことだってある。
変わらないことがないこの世の中で、心の置き所はどこか。
本日の訪ねる本
反応しない練習
草薙 龍瞬(くさなぎ りゅうしゅん)【著】
歩くヒントになるコトノハ
本当の人生は、「戻っては、踏み出す」の繰り返しです。一日に何度でも、何か月でも、何年でも―—「正しい心がけに戻る」こと。そこから再び“生きて”みること。
そうした心がけが、幸せへと導いてくれるのです。
心は自分の中に置く
全く同じことなど、一瞬たりともない。
気づかない変化の積み重ねが、気づく頃には心をとらえることもある。心をとらえるものは良いことだけとは限らない。
目の前の悲しみや後悔、怒りなどが心をとらえて離さないことだってある。
悲しみや後悔、怒りに対して自ら変化を起こせるとすれば、自分自身についてだ。
目の前のできごとを変えようとしても、変わるかそのままかは、そのできごと次第。できごとには複数の人の心が関わっているからだ。
できごとではなく、誰か一人だとしても、思い通りに変えることは難しい。その人にも心があるからだ。相手に自分の心を置く場所を見い出すことはできない。
自分の心を置く場所は、他ならない自分のなかにある。
目の前のことに必ずしもとらわれる必要はない。とらわれるかどうかは、自分が選択すること。誰にも心の置き場所があるように、自分にも心の置き場所があるからだ。
目の前のことを変えようとするより、自分を変えようとする方が、良い変化を起こせる。
そして、できごとが複数のひとの心から作られるように、自分へと起こした変化で、できごとはほんの少しづつ変化する。
相手を変えようとするのではなく、自分を変えたなら、互いの関係に変化が生じる。2つの心の内、1つが変化すれば、半分が変わるのだ。その半分の変化がもう半分にも変化を生む可能性もあるだろう。
目の前のことに心をとらわれてしまったなら、自分の内に心を戻そう。
思うところに行きたいのなら、自分の心は自身の内に据える。
本を巡る旅にお付き合いいただき、ありがとうございました。
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