フツウの生活とは、フツウではないのかも。
こんにちは、ライクです。
今回は、こちらです。↓
パンツははいておけ 中学生フリーターが大学進学した話 早乙女かな子【著】
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本書は、著者の早乙女かな子さんの半生を綴っています。
幼少のころから始まり、タイトルにある通り、中卒フリーターを経て大学に進学するまでの話です。
様々な人間関係、主に母親との関係に苦悩しながら、自分の居場所を得ては失いを繰り返します。
それでも、居場所を失って辿り着いた次の居場所の人たちに、時には衝突し、時には支えられ、目標である大学進学を目指していきます。
フツウってなんだろう?
本書を読んでいて、考えたことは、フツウというのは、なんだろうか?です。
本書では、早乙女さんは色んな人達と出会い、時にその出会いによって救われます。
その救った相手の背景にも悩みがあったりで、早乙女さんに出会うことで救われた人もいるように感じました。
もう1つ、読んでいて感じたことは、早乙女さんの日常と、おそらく皆が思い描く、不自由のないフツウの生活を対比させているように思いました。
しかし、出会う人達も、フツウではない悩みを持っている。
フツウの人生って、フツウではないことがあるのがフツウでは?
ということは…
フツウの人生ではないのが、フツウの人生ということなのか?
親子関係…子は、親にとっていつまでも子だが、ずっと“子供”ではない。
このブログは、あくまで読書感想ブログなので、細かくは書きませんが、僕自身、学生時代に学校を休学し、引きこもりを経験、精神科に通っていた時期があります。
その時の精神科の先生に言われた一言で忘れられない一言があります。
「今後、復学したい?それとも働きたい?」
気が付いたら、働ける年齢になっていることに、ハッと気づかされました。
本書で、悲劇のヒロインという言葉が出てきます。
それは、嘆いてばかりいる受け身の姿勢とも取れると思います。
受け身の姿勢、つまり親から何ごとも受ける側である子供の姿勢です。
両親との問題が発生すると、感情はその問題の発生した時点に捕らわれやすくなると思います。
そして、捕らわれている時点に目線がいっているので、自分の成長に気が付きにくい。
早乙女さんはあることをきっかけに、悲劇のヒロインから主体性のある大人に成長していきます。
フツウではないフツウの人生を、誰のものでもない自身の足でしっかり歩るいて、行く。
その先には、かけがえのないフツウの自分の居場所がある。
歩く前にしっかり、ぱんつははいておけ。
最後まで読んでいただきありがとうございました!