本を訪ねる

読書は自分を知る旅

歩き方は、1つではない

 

他の人がいろいろと迷ったり、心配している間に、「人の3倍も挑戦すれば、成功しないわけがない」ってことなんだよ。

https://raikuhon.hatenablog.com/entry/2021/01/16/163802

 

学ぶこと、働くことの方法は1つではない。

 こんにちは、ライクです。

 今回の読書感想は、こちらです。↓

15歳のコーヒー屋さん 発達障害のぼくができることから ぼくにしかできないことへ [ 岩野 響 ]

価格:1,430円
(2020/7/6 13:03時点)
感想(2件)

 15歳のコーヒー屋さん

 発達障害のぼくができることから

 ぼくにしかできないことへ

 【著】岩野 響 (いわの ひびき)

本書の著者紹介より…

 岩野響さんは、10歳で発達障害のひとつ、アスペルガー症候群と診断されます。

 あえて高校に進学しない道を選び、料理やコーヒー焙煎、写真など、さまざまな「できること」を追求していきます。

 2017年4月、自宅敷地内に「HORIZEN LABO」をオープン。

 幼いころ頃から調味料を替えたのがわかるほどの鋭い味覚、嗅覚を生かし、自ら焙煎したコーヒー豆の販売を行ったところ、そのコーヒーの味わいや生き方が全国で話題となります(現在、直販は休止)。

CONTENTS

 本書は、著者である岩野響さんの幼少期から15歳でコーヒー屋さんを開店するまでを振り返っています。

 他に著者の岩野響さんのお父さん、お母さん視点からの振り返りも、掲載されています。

はじめにより

 発達障害について、脳に生まれつき微細な障害があり、体が不自由だったり、知的な遅れがあったりするわけではないものの、コミュニケーションがうまくできない、じっとしていられない、空気を読んで周囲とうまく適応していくことが難しい、などの特性があると本書では解説されています。

 本書で岩野響さんがお伝えしたいこと。

  • できないことがたくさんあっても、できることだってある。できることを生かせば、自分の生きる道はある。
  • できないことを無理に頑張っても変えられない。だから、それは「手伝って」とお願いする勇気をもとう。
  • 学校だけがすべてじゃない!

 発達障害のぼくにできることからぼくにしかできないことへ

chapter1幼少期のぼく

 響さんには、アスペルガー症候群という発達障害があるそうです。

 アスペルガー症候群は、一般的にコミュニケーション能力などの対人関係がうまくいきづらい障害とされているそう。

 響さんの場合、特性として記憶障害があり、幼少期や小学生の頃のことをほとんど覚えていないとのこと、chapter1は両親の記憶も加え、語られています。

 幼少期の響さんは、洗剤やシャンプーのボトルが大好きで、空き容器をコレクションしていたそうです。

 お父さんが、最初に買ってくれたプレゼントも、旅行用のシャンプー&リンスセットで、いわゆる男の子が好きそうなレンジャー系のおもちゃには見向きもしなかったとのこと。

 次に夢中になったのは、携帯電話で、各社それぞれの機種の形と名前を全部覚えたそうです。

 響さんがその頃に行きたいところといえば、携帯ショップでした。

 遊園地や動物園などのレジャー施設には、全く興味を示さなかったそうです。

 響さんが小学校3年生の頃、担任が代わり、クラスが授業中に好きなことをしてにぎやかな状態になってしまいます。

 その雰囲気の中で、響さんは教室に居られなくなり、教室を飛び出すこともあったそうです。

 教室を飛び出したり、床に寝そべったりすることから、響さんは「特別支援学級」に通級することになります。

 響さんは「特別支援学級」に通うことに関して、クラスがうるさい原因になっている子たちがそのままで、自分だけが支援学級に行かなければならない理由がわからなかったそうです。

 小学4年には、担任が代わり教室が静かになります。

 響さんも教室に居られるようになったそうです。

 そして、小学5~6年生の頃に出会った鹿貫(かぬき)先生に出会います。

 鹿貫先生は、響さんの良いところを見つけてくれて、鹿貫先生は響さんが描いた絵をほめてくれて、市の文化展に出展します。

 響さんは、その絵ではじめての賞を受賞します。

 響さんは、鹿貫先生が絵を出展してくれたのは、自信を持たせるためだったのではないかと振り返っています。

 他にも、鹿貫先生は、響さんの良いところ見つけ褒めてくれ、「響、すごいじゃん」とクラスの皆に認めてもらえるような雰囲気を作ってくれたそうです。

 鹿貫先生との出会いもあり、響さんは無事に小学校に進学します。

chapter2大きな壁にぶつかった中学時代

 中学に進学した響さんは、校則をしっかり守ろうという考えに縛られてしまいます。

 なぜ中学校時代に校則や規則に縛られすぎていたのか、振り返ってもよくわからないといいます。

 響さんにとって適当にとか、ほどほどにとか、いい加減にといったあいまいなことが、よくわからないそうです。

 響さんは、中学で部活を始めます。

 バトミントン部に入りますがもともと運動は、苦手でした。

 本書で、響さんのお母さんの久美子さんは、響さんは発達障害の特性で、空間認知が得意ではないとおっしゃています。

 響さんも昔のことを振り返り、体をあちこちにぶつけたりしていたことを、書かれています。

 さらに響さんは、授業の提出物を仕上げることが出来ませんでした。

 校則・規則を過剰に守ろうとしたこと、部活が努力しても上手くいかないこと、提出物が仕上げることが出来ないことで、次第に学校に通うことが苦痛になっていきます。

 そして両親からこの時に、響さんは自分自身が発達障害であることを両親から知らされます。

 しかし響さんは、自分が発達障害であることをすぐには、受け止めることができませんでした。

 うまく立ち回れば、できると言い張ったそうです。

 「ぼくは、障害者じゃない。やればできるんだ」

 響さんは、辛くとも学校を休むことなく通います。

 そんな響さんに父、開人(はるひと)さんは、一言声をかけます。

「1日でもいいから、ちょっと休みなよ」

 開人さんが一言声をかけた時、もともと表情があまりない響さんの顔がとても厳しく、悲壮感いっぱいだったそうです。

 こんな状況に追い込まれても、学校に行かなくては行けないと思っていることがわかり、「もう、学校に行かなくていいよ。十分にがんばったよ」と言ってあげったかったと開人さんは言います。

 そして響さんは、学校に通うことが出来なくなっていきます。

 学校に行かなくなって、じゃあ、ぼくは何をすればいいのだろうと不安になります。

 学校に行かなくなったことを久美子さんは、心配しました。

 しかし開人さんは、成人するまでの7年間で、響さんができることを見つけてやればいい。

 学校にしがみつかないで、ぼくらでなんとかできることを探したほうがいいかもしれないと思ったそうです。

 この決断に開人さんは、責任が持てるだろうか?という恐怖があったそうです。

 しかし今でもこの時の決断は、後悔していないし、結果良かったと思っています。

chapter3、chapter4

 chapter3 働くことで新しい世界が広がる

 chapter4 ぼくの仕事はコーヒー焙煎士です

 学校に通えなくなった後、家事や夕食のカレー作り、両親の仕事、両親の仕事仲間、そしてコーヒー界のレジェンド大坊勝次(だいぼうかつじ)さんとの出会いからコーヒー焙煎士という生き方を見出します。

学ぶこと、働くことを見つける方法の多様性があってもいいんじゃないか?

 今回、本書を読んで感じたことは、「学ぶこと、働くことには、多様性があってもいいんじゃないか?」「大多数=正解ではない」ということでした。

 もちろん、学校は勉強や人間関係を学ぶことが出来る場所としては、とても有用です。

 しかし、必ずしも学校に通うだけが正解で万能ではないと思いました。

 多くの人が通る道を歩めないことで障害があるという考えにするのではなく、歩んでいる道が違うという考えが大事なんだと思いました。

 歩む道が違うなら、最適な靴、地図、歩むペースも違うはずです。

 同じ道具、同じペースで歩くようにしようとするのではなく、その人に合った方法で歩むことを探すことが、大切なんだと感じました。

 そもそも、誰しも誰かと全く同じ道を歩んでいるわけではありません。

 同じ様な道を通っているようでも、自分だけの道を歩んでいます。

 本書で語られている岩野響さんの生き方は、自分の生きる道をより良く生きるためのヒントになる。

 そう感じました。

 

 自分の特性を受け入れることから、自分の長所を発見する。

 自分の長所にフォーカスすることで、自分にできることが見つかる。

 自分にできることを、夢中でやり続ける。

 夢中にできることは、自分にしかできないことになる。

 あなたにできることから、あなたにしかできないことへ!

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 本読みで自分にしかできないことを探そう!