甘えと支え合いの関係/つい顔色をうかがってしまう私を手放す方法を訪ねる3
好意に甘え、好意をもって甘えさせる
『甘え』というとどんなイメージがあるだろうか。
甘えに、いいイメージがない人は、案外いるのではないでしょうか。
甘えときくと、「誰かに迷惑をかけること」と考える人も多いはずです。
「人はひとりでは、生きていけない。人は、支え合って生きている」と聞くとどうでしょうか。
おそらく、ほとんどの人は、「確かにそうだ」と思うのではないでしょうか。
甘えさせる、甘えるのは、よくないように感じるけど、支えあうことは素晴らしいと感じてしまう。
どちらも、誰かとちからを貸し借りすることなのに。
今回の読書では、支え合うことや助けること救われることは、素晴らしく感じることができるのに、甘やかすこと甘えることは、なぜかダメなことと感じるという内容に、不思議な気持ちになりました。
甘えることと、救いを求めること。
甘えさせることと、助けること。
その違いとは、なんでしょうか。
本書の著者は、「甘えること」「甘えさせること」は、大切なことだと本書で語っています。
そして重要なことは、その『甘え』に『好意』があることだと言います。
好意のある甘えさせとは、見返りを求めないものを指すようです。
好意のある甘えも同じく、相手に負担を意図的に与えるものではないと考えられます。
「わたしは、これだけのことをしたのだから、あの人も同じくらいのことをわたしにするべきだ」
「面倒だから、あの人にやってもらおう。他の人のことなんかかまってられない」
反対に好意のある「甘え」とは次のようなことではないかと考えました。
「体調がすぐれないようだから、私が代わってあげる」
「体調を察してくれて、代わろうかと言ってくれている。ここは、お言葉に甘えて代わってもらおう」
好意のある甘えを考えてみると、「支え合い」になっているように思えます。
自分の利益を考える甘えの多い環境と、思いやりからくる甘えのある環境。どちらが安心して過ごせるだろうか。
わたしは本書を読んで、好意のある甘えが多い環境だと感じました。
安心感のある環境では、「顔色をうかがう」ということは、あまりないのではないでしょうか。
好意によって甘えさせること。
好意によって甘えること。
両方がある場所は、恐れず、安心のできるところになる。
相手の心からの好意ある甘えさせは、文字どおり、「お言葉に甘えさせてもらう」
無理して、ひとりでいろんなものを、しょいこむ必要はない。
甘えもときには、必要なのだから。
本を巡る旅におつきあいいただき、ありがとうございました。
本日も、前回に引き続き、「顔色をうかがう」をテーマにした本です。
つい顔色をうかがってしまう私を手放す方法
佐々木 正悟(ささき しょうご)【著】
つい顔色をうかがってしまう私を手放す方法 [ 佐々木正悟 ] 価格:1,628円 |