比較や判断で過去になる。止まってしまう。/反応しない練習を訪ねる2
比較、判断で過去は創られる
本を訪ねるへようこそ!
こんにちは、ライクです。
過去と現在の境界線ってどこにあるのでしょうか。昔と今の線引きは『比較や判断をする』ことなのかもしれません。
本日の訪ねる本
反応しない練習
草薙 龍瞬(くさなぎ りゅうしゅん)【著】
歩くヒントになるコトノハ
どんな判断であれ、「執着」してしまうと、苦しみが生まれます。というのは、現実はつねに「無常」——変わりゆくもの―—だからです。
判断や比較で固定化される
今回の読書では、『比較』や『判断』についての話しが書かれていました。読んでいてい思ったのは、比較や判断というのは、それを行った時点で『終わる』のではないかということです。
比較や判断が肯定的でも否定的でも、そこで一旦は過去になる。過去になるとその時点で『これまでが全て』になります。『これまで』だけで、『これから』が無いのが比較や判断。ただ、現実は常に変わりゆくもの。
比較、判断で『完璧、最高』だと評しても、時が経つにつれて上回るものが出てくる可能性があります。または、基準がこれまでと変わってしまい、新しい基準では低評価になってしまうことも考えられます。
比較、判断で『低評価』にした時点で、足りないものへの執着が生まれる。足りないものへの執着は、過去への後悔、未練に囚われることになり、苦しい思いをする可能性があります。
比較や判断することに重きを置くと、過去に囚われてしまい、新しいものが生まれていることを見落としてしまう。現在の変化が見えなくなることで進歩や打開の妨げになるかもしれません。
絶好調だと思っていることが、実は徐々に不調に近づいている。
低調だと思っていたものが、日々好調に進んでいる。
勤勉だった人が、最近は怠けがち。
怠惰な人が、情熱的に物事に打ち込み始めている。
現在の物事は全て不変ではない。
不変に感じることがあるとすれば、判断、比較で生まれる過去に囚われたとき、比較や判断からくる過去に捕まらないためには、判断、比較しないこと。
比較や判断をしないということは、なかなかに難しいと思います。ただ、現在を見ることに重きを置くことを意識することは、これからを最善にするためには必要だとも感じます。
輝かしい過去、辛かった過去に囚われ苦しいとき、現在を見ることを意識する。
当時、判断・比較したことに変化が起きているかもしれない。
変化を感じ取るためには、主観的に見るのではなく、あるがままに見る。
『これまで』は心のうちに、『これから』は心の外にある。
本を巡る旅にお付き合いいただき、ありがとうございました。
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