間違えたと感じたときにどんな言葉をかけているか?/「わかりあえない」を越えるを訪ねる2
自分の過ちにかける言葉
失敗したと感じたとき、自分にどんな言葉をかけるでしょうか。
「そんなこともできないなんて、自分はなんてダメなんだ」
「間違うなんてありえない!恥ずかしい!」
「自分には向いてなかった」
思いのほか、自分には厳しい叱責をしてしまっているなんてことはないでしょうか?
もしも、その言葉を誰かに投げかけていたなら、とてもひどい言葉だと感じるのではないでしょうか。
本日の読書
「わかりあえない」を越える
マーシャル・B・ローゼンバーグ【著】
今井 麻希子(いまい まきこ)【訳】
鈴木 重子(すずき しげこ) 【訳】
安納 献(あんの けん) 【訳】
間違ったときどんな言葉が聞こえるか?
今回の読書では、「自己教育」の内容に興味を持ちました。なぜなら、上手くいかなかったときにどう自分に対応するかということをあまり考えたことが無かったように思えたからです。
本書によると、自分自身の教育には子どものころに親から言われた言葉を用いるとあります。
「そんなことをやったらだめ!」
「わがままを言わない!」
「なんでいうことを聞かないの!?」
「だらしない!」
これまでに、教育として「こうあるべきだ」と習ってきたことから外れたと感じたときにこれらの言葉を用いて自分を責めるようです。
「子どもを頭ごなしに叱ってはいけない」と教わっていたとして、その教えを破った場合。自分の心の中で次のように語りかけ自己教育をすると考えられます。
「子どもを頭ごなしに叱ってしまうなんて、やってはいけないことをしてしまった。自分はなんてダメな親なんだ!自分は間違っている!」
この考えには、
「そんなことをやるなんてダメ!」と
「そんなことをするのは、人として間違っている!」という子どものころにかけられた言葉が入り込んでいると予想されます。
そんな叱責からは何が得られるでしょうか?
本書にあるように、罪悪感と落ち込み、そんな自分への恥ずかしさではないでしょうか。
自分が何か教わったことからはみ出したときに、心の中でつぶやいている言葉に耳を傾けてみると、どこかで聞いたような言葉だなんてことはないでしょうか?
過ちを感じたときは共に感じる
本書では、自己教育には、まずは自分のニーズ(求めるもの)を明確にすることこそ重要とあります。
「子どもを頭ごなしに叱ってしまった」ならなぜその行動を求めたかをまずは明確にするようにします。
「命の危険がある行為をやめさせたかったから」
「将来の役に立たないと感じたから」
「だらしのない大人になると思ったから」
「自分のスケジュールに支障をきたしそうだったから」
自分自身のニーズを知ることで、罪悪感や落ち込み、恥ではなく、次につながる成長を得られる。その時の自分が求めていたものを現在の自分自身が共に感じることで、新たに成長する機会を見い出すことができる。
- 自分の求めるものを明確にすること。
- これまでに教わった「こうあるべき」ができなかった自分を叱責することを手放すこと。
以上2つが自分の成長につながるというのは、新たな発見であるように思えました。
あなたは、これまでどんな言葉で叱られてきただろう。
自分を叱るとき、あなたはどんな言葉をかけるだろう。
誰かを叱るとき、あなたはどんな言葉をかけるだろう。
いまのあなたも、これまでのあなたも、そしてあの人も
叱られたときに、必要としていたのは、
共に感じてもらうことだったのではないだろうか。
本を巡る旅にお付き合いいただきありがとうございました。