本を訪ねる

読書は自分を知る旅

燃え尽きないために有意義にギブしよう/GIVE&TAKEを訪ねる6

 自己犠牲的なギブより有意義なギブをしよう

 こんにちは、ライクです。

 前回に引き続き、「与える」がテーマの本を巡っていきます。

 

 「与える」ことは、誰もが様々な場所で行っている行動です。家族、仕事、友人、ボランティア。

 

 「与える」ことで誰かの役に立つことは、素晴らしいことだと思います。しかし、「与える」ことで、自分の時間や、精神、体力などを大きく犠牲にしている場合、それは、自他共に素晴らしいと感じることができるでしょうか?

本日の訪ねる本

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GIVE&TAKE

「与える人」こそ成功する時代

アダム・グラント【著】

楠木 建(くすのき けん)【監訳】

歩くヒントになるコトノハ

 ウェインスタインらは、被験者の気力の変化を測定した。人助けそのものは、気力の高い低いに影響をおよぼしていなかった。他人を助けた日のほうが、助けなかった日に比べて幸福度の低い日もあったからだ。

 それよりはるかに重要だったのは、「人助けをする理由」だったのである。目的意識をもって楽しいから人助けをした日は、かなり元気が増したように感じていた。

楽しく貢献する

 取り組むことの理由が、義務感のみだったらどのような結果になるだろうか?

 

 さほど楽しくもなく、なぜやっているのか意味も見いだせない。やらなければならないからやっているだけ。

 

 日々を過ごすなかで、「義務教育」からはじまり、生活するために「義務的」に仕事をする。生きるために義務的に生活することは、子供のころから始まっているといっても過言ではないように思う。

 

 決められた学業の成績、仕事の業績の向上のためだけに、毎日を楽しく、やる気に満ち溢れて過ごすことができるだろうか?

 

 おそらく大半の人は、「NO」と思うのではないだろうか。

 

 自分の興味のあることで、誰かのためになることを与えることができた時はどうだろうか?きっと、やりがいを感じ、進んで行動を起こせるのではないだろうか。

 

 誰かのために、自分を犠牲にして何かを行う。休憩時間や休日。大切な人と過ごす時間。時間だけでなく、財産や労力など、無理をしてまで与えたとしよう。

 

 例え、それで誰かを救えたとしても、それを素晴らしいものと感じる人はいるだろうか。助けてもらう人、それを見ている第三者、そして手を差し伸べた本人。誰も心から喜べないはずだ。

 

 自己犠牲での援助は、心に影を落とす。支える人、支えられる人、両方が良い方向に向かうことが「与える」時には必要なのだ。

 

 自己を犠牲にする義務的な「与え方」は、気持ちを燃え尽きさせる原因にもなりえる。いま取り組んでいることで、意義を感じることができないのなら、他に自分にとって価値ある有意義なことで、誰かに貢献することを考えてみよう。

 

 有意義に貢献できたと感じることができたなら、義務的に行っていることにも良い影響が出るかもしれない。

 

 誰かに何かを「与える」ときは、自分にとっても有意義なほうがいい。

 

 本を巡る旅にお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

 またどこかでお会いしましょう。

GIVE & TAKE 「与える人」こそ成功する時代 [ アダム・グラント ]

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