一般的な、そして私的な言葉の意味/「言葉にできる」は武器になる。を訪ねる3
伝える意味と伝わる意味
こんにちは、ライクです。
心のうちに湧き出る言葉が、鮮明であればあるほど表現したとき、明確なメッセージとして相手に伝わる。
想いは文章で見る。形があると、秘められた自身の考えも見つかる。さらに時間をあけると、違う角度、伝えたい相手の視点に立てる。言葉は伝わりやすいメッセージへと成長する。
以上がここまで言葉の本を旅したことで得られた気づきです。
言葉の本の旅も、まもなく終着点。
それでは、歩いていきましょう。
本日の訪ねる本
「言葉にできる」は武器になる。
梅田 悟司(うめだ さとし)【著】
歩くヒントになるコトノハ
「〇〇って、△△だ。」で、新しい名前を付ける。
「言葉って私だ。」
とあるお店に、はるか遠い国から旅人がやってきた。
旅人は、この土地の名産品を一通り購入することを決めて、店主にお金を渡す。
店主は言う。
「お客さん、お金をもっていないと商品は渡せないよ。」
すると旅人が答える。
「なにをいっているんだ?いまお金を渡したではないか。」
店主に旅人が渡したのは、見たことのないようなきれいな貝殻だった。
「旅人さん、この国では、この石をお金と言うんだ。」
店主と旅人には、お金で商品を買うという共通の文化はあるものの、お金とするものの価値観が違っていたのだ。
学生の頃、「お金というものは何をもってして、お金と言えるのでしょうか?」というのを授業で受けたことがある。
「お金とは、みんながお金としての認識をもっているもの」というのが答えだった。
現在、僕たちが使っている紙幣や硬貨も、全員がお金と認識しているからお金たりえる。お金という認識がなければ、ただの紙と金属の塊だ。
今回の本の旅で、ほかの言葉にも同じようなことが言えるのではないかと感じた。
本書には相対する言葉を「〇〇って、△△だ。」の型にはめることで、新しい名前を付けることができるようになるとある。
本書にある例文だと、「大人って、子どもだ。」といった文章が紹介されている。
大人という言葉の概念に、子どものような好奇心や遊び心があるという側面を付け加えている。
上の例文のような考え方を、無意識で僕たちは、行っているように思う。
例えば、「親」という言葉を思い浮かべてみよう。
「親」とはなんだろうか?
子どもがいて、その子供の父と母が「親」だ。
一般的にはそうとらえることができる。
しかし、細部まで「親」の概念を考えると、きっと人それぞれで「親」という言葉に対して、意味に違いがでてくるはずだ。
ある人にとって「親」が尊敬の対象であるのに対し、ある人にとっては「半面教師」のような存在であるかもしれない。
先ほど、その子供の父と母と書いたが、そこにたとえ「血のつながり」がなくても誰かにとっては、まぎれもなく信頼のおける「親」であったりする。
僕たちは、その言葉に誰もが同じ共通の認識をもっていると信じてやまないが、本当のところは、微妙な差異がある。
それでも大抵のことは通じ合う。言葉の不思議なところだ。
みんなが共通としている言葉の意味。それとは少し違うところに、「わたし」といえるものがあると考えてもいいのではないだろうか。
その違う「わたし」を伝えたくて、誰もが、心にひびく言葉の表現を追い求める。
言葉は、私たちでもあり、言葉は、私だけでもある。
言葉の本への旅は、ひとまず終わりにたどり着きました。
最後まで旅にお付き合いいただき、ありがとうございました。
またどこかでお会いしましょう。
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